恋愛小説が苦手な人でも楽しめる男と女の物語5作【本好きライター厳選】

2018年9月11日

「恋愛小説って帯に書かれてたら避けちゃう」

そんな、ぼくみたいな人っていませんか?

「恋愛小説」って銘打たれていると、何だかまどろっこしくて、甘ったるくて、予定調和で、っていう風にネガティブなイメージを持っている人ってぼく以外にもいるんじゃないかな。

ぼくはそもそも恋愛への関心が高くないので、今までに1千冊以上の本を読んできましたが、「恋愛小説」と宣伝されているものは避けてきました。

でも、そんな風に恋愛小説が苦手なぼくでも、過去に男女の恋を描いた素晴らしい物語に偶然に出合い、感動し、涙したことがあります。

今回はぼくの経験を踏まえて、恋愛小説が苦手な人でも楽しめる男女の恋の物語を5つ紹介します。

恋愛という枠にくくる必要がない、素晴らしい小説ばかりです。どうぞ。


『錦繍』/宮本輝

「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」

運命的な事件ゆえ愛しながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。

そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る――。

往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。―新潮社ホームページより引用

人生にはさまざまな色がある。そのどれもが美しい

1977年に『泥の河』で太宰治賞を受賞してデビューして以来、数々の名作を世に送り続ける宮本輝(てる)さん(71)

宮本さんは3年前のインタビュー、つまり60代後半でなお小説を同時に3本書いているといい、「作家生活の中で仕事量は最も多い」と話していました。

この記事を書くに当たって宮本さんのことを調べ、その多作ぶりに改めて驚かされました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/宮本輝

ウィキペディアに掲載されている著作リストを見て、息をのんだ。

そんな彼の小説の中で勧めたいのが『錦繍』(きんしゅう)。

素晴らしいです。

錦繍は、人が生きることと死ぬことの切実さを、大きな感動とともに教えてくれます。簡明で、それでいて繊細で、凛とした文章によって。

この記事を書いている今、記憶に刻まれた物語が津波のようにぼくの心に押し寄せ、胸を詰まらせています。

「印象に残っている恋愛小説はないかなあ」

ブログのネタを思い巡らした時に最初に浮かんだのが、10年以上も前に読んだ錦繍でした。

この小説は上にもあるように、別れた男女が手紙を送り合うことで心を交わし合う物語。2人が書いた手紙の文章しか小説には載っていません。

電子メールとスマートフォンの普及で、手紙は絶滅危惧種と言っていい交流方法になりました。

ぼくも過去に書いた記憶がありません。

ただ、手紙は自分と向き合うために有効な手段です。

ろくに話し合いもせず、言わば衝動的に別れることを選んだ2人は、10年ぶりに「書く」ことによって自分に向き合い、互いの人生に思いを馳せます。

錦繍とは、美しい紅葉や美しい織物のことをいいます。

文通により、2人の空白の10年の出来事や思いが一つひとつ丁寧に読者の心に編み込まれていき、最後には壮大で美しい、まさに錦繍の景色をぼくたちに見せてくれます

人生にはさまざまな色があるが、振り返り見れば、そのどれもが美しい

そう思わせてくれる小説です。清らかなものに触れられます。

『錦繍』で印象に残った文章

錦繍の中で印象に残った文章を書きます。作品の魅力の一端に触れ、ぜひ全て読み通してもらえるとうれしいです。

全山が紅葉しているのではなく、常緑樹や茶色の葉や、銀杏に似た金色の葉に混じって、真紅の繁みが断続的にゴンドラの両脇に流れ去って行くのでした。

それゆえに、朱い葉はいっそう燃えたっているように思えました。

何万種もの無尽の色彩の隙間から、ふわりふわりと大きな炎が噴きあがっているような思いに包まれて―

生きていることと、死んでいることは、もしかしたら同じことかもしれへん。

そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現してるような気がしましたの。

「お前なんか嫌いだ」。令子さんはあなたにそんな言葉を言わせることの出来る人なのですね。

すべての人間が、死を迎えるとき、それぞれがそれぞれの為した行為を見、それぞれの生きざまによる苦悩や安穏を引き継いで、それだけは消失することのない命だけとなって、宇宙という果てしない空間、始めも終わりもない時空の中に溶け込んで行くのではなかろうか。

そしてこの人生には、死ななければ理解出来ない事柄がたくさん隠されているに違いありません。

過去なんて、もうどうしようもない、過ぎ去った事柄にしか過ぎません。でも厳然と過去は生きていて、今日の自分を作っている。

けれども、過去と未来のあいだに〈いま〉というものが介在していることを、私もあなたも、すっかり気がつかずにいたような気がしてなりません。

私は立ち上がって、あたり一面を包み込んでいる鬱蒼とした樹木を見渡しました。

何百種もの朱色が、何百種もの黄色が、そして何百種もの緑色や茶色が、秋の陽の中で踊り騒ぐように動いているさまを見ながら、私は●に、●と言いました。

参考

作家・宮本輝(1)作家は70代に熟成する

『潮騒』/三島由紀夫

文明から孤絶した、海青い南の小島――潮騒と磯の香りと明るい太陽の下に、海神の恩寵あつい若くたくましい漁夫と、美しい乙女が奏でる清純で官能的な恋の牧歌。

人間生活と自然の神秘的な美との完全な一致をたもちえていた古代ギリシア的人間像に対する憧れが、著者を新たな冒険へと駆りたて、裸の肉体と肉体がぶつかり合う端整な美しさに輝く名作が生れた。―新潮社ホームページより引用

世界のきらめきに読者の心も躍動する

続いては、戦後の日本文学を代表する作家の一人であり、海外でも多くのファンを持つ三島由紀夫(1925-1970)の作品から『潮騒』を勧めます。

三島由紀夫の小説を読んだのは潮騒で3冊目だったんですが、それまでの『金閣寺』や『仮面の告白』で、三島作品に対しては非常に難解な印象を持っていたんですね。

特に、仮面の告白は読み通すのが大変だった。

でも、そんなイメージが潮騒で変わりました。

潮騒は三島作品の中では文章が易しく読みやすく、そして何より描写がとても美しい

そう、すごく美しいんです。

それはもううっとりするほどで、自然や人間の肉体や労働の美しさがキラキラと眼前に迫る勢いで伝わってきます。

三島由紀夫の文章の素晴らしさを知るためだけに読んでほしいと言いたいくらい。

大まかな筋としては、海に囲まれた小さな島で生きる漁師の青年と娘の恋を描いているわけですが、人物のキャラクターや物語もさっぱりとしていて非常に気持ちがいいものです。

出会いのときめきがあり、一時的な離別の悲しみがあり、困難にぶつかり乗り越え、そして―という、いってみれば恋愛の王道を地で行く作品。

といいつつも、取り立てて陰惨な悪者が登場するわけではなく、暴力や血も描かれない。

こういったシンプルな物語を魅力的に描けるのは、やはり三島由紀夫の文章と人物造形の素晴らしさ、そして人間の清廉さを尊ぶ作家の信念の表れなのではないでしょうか。

人間を、人生を肯定したくなる勇気をもらえる作品です。読後感も抜群にいいです。

三島由紀夫を読むならまず潮騒から、とぼくは言いたい

『潮騒』で印象に残った文章

…そのふしぎな不安は、今朝もまだつづいている。

しかし新治の立つ舳先の前には、広大な海がひろがっており、その海を見ると、日々の親しい労働の活力が身内にあふれて来て、心が安まるのを覚えずにはいられない。

新治の背には徐々に汗が滲んでくる。朝風にさらされているその額には汗が煌めいてくる。頬は火照ってくる。

日がようやく雲を透かし、若者の躍動している姿の、その薄い影を足もとに映した。

海は漁師にとっては、農民のもっている土地の観念に近かった。

海は生活の場所であって、稲穂や麦のかわりに、白い不定形の穂波が、青ひといろの感じやすい柔土のうえに、たえずそよいでいる畠であった。

若者は彼をとりまく豊饒な自然と、彼自身との無上な調和を感じた。

彼の深く吸う息は、自然をつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲み入るように思われ、彼の聴く潮騒は、彼の巨きな潮の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと調べを合わせているように思われた。

新治は日々の生活に、別に音楽を必要としなかったが、自然がそのまま音楽の必要を充たしていたからに相違ない。

どんな時世になっても、あんまり悪い習慣は、この島まで来んうちに消えてしまう。

海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや。

誰も忙しくて千代子に目もくれなかった。

毎日のなりわいの単調なしかし力強い渦が、この人たちをしっかりととらえ、その体と心を奥底から燃やしており、自分のように感情の問題に熱中している人間は、一人もいやしないのだと千代子は思うと、すこし恥かしい気持がした。

水平線上の夕雲の前を走る一艘の白い貨物船の影を、ふしぎな感動を以て見送ったことを思い出した。

あれは「未知」であった。

未知を遠くに見ていたあいだ、彼の心には平和があったが、一度未知に乗組んで出帆すると、不安と絶望と混乱と悲歎とが、相携えて押し寄せて来たのである。

『袋小路の男』/絲山秋子

指一本触れないまま「あなた」を想い続けた

高校の先輩、小田切孝に出会ったその時から、大谷日向子の思いは募っていった。

大学に進学して、社会人になっても、指さえ触れることもなく、ただ思い続けた12年。

それでも日向子の気持ちが、離れることはなかった。

川端康成文学賞を受賞した表題作の他、「小田切孝の言い分」「アーリオ オーリオ」を収録。―Amazonより引用

付き合うとか結婚するとかってホントに普通なの?

ちょっと独特な恋愛小説です、これは。

ぼくは絲山秋子さんの小説が好きで、ほとんど読みました。

絲山さんの小説はいいんですよ。かっこつけてない。

カラッとしてて人物が率直で、過剰なところもあるんだけど嫌味がない。

文章はリズミカル。非常に読みやすく、軽快な音楽を聴いているようで気持ちいい

そんな絲山作品の中の『袋小路の男』。

タイトルがしびれるでしょ。

何だかハードボイルドな雰囲気も漂いますが、別にそんなことはなく、直接的には主人公の大谷日向子(ひなこ)が恋する小田切孝を意味してる。

小田切は道のどん突き(袋小路)にある家に住んでいる男なんです。

あなたはハンサムだったけれど、死んだ魚にも似ていた。触ったらぬるりと冷たいんじゃないか、という気がした。

そのぬるりのことを考えるとわき腹のあたりがせつなくなった―

冒頭のフレーズから既に面白い。

日向子は高校生のころ、先輩の小田切に会ってすぐに恋に落ちます。

小田切はモテ男であり、かつ、ろくでもない男。

学校の屋上で他の女といちゃつくとこを見せつけられたり、タバコや東スポを買って来いと使いっぱにされたり、何度会っても名前を覚えてくれなかったり。

でもそんなの、日向子には関係ありません。ずっと好き。

驚くのは、その思いがなんと高校1年から12年間も続くこと(!)。しかもノーキス、ノーセックスでノーラブじゃないのがすごいんですよね。

でもよくよく考えてみると、ぼくたちの恋愛って接触と関係の変容を迫りますよね。

キスをするとかセックスをするとか、付き合うとか結婚するとか。それがまるで当たり前のことのように。

でも果たしてそれってほんとに当たり前のことなのか

離れてもいけないし、ぴったりくっついてもいけない。

大事な気持ちがいつも、二人の子供のように遊んでいる。ぴったりくっついて窒息させてはいけない。

2人が感じているように、体を重ねることで終わってしまう関係もあり得るんじゃないか。いい距離というのは固有ではないのか。

まだ興奮していたが、あなたと会ってから九年間で一番近くに眠っていることを思って目を閉じた。

これ、添い寝のことじゃないんですよね。

骨折して入院した小田切の元に駆けつけ、病院の駐車場に止めた車の中でひとり夜を過ごすときの日向子の気持ち。

手をとって、包んでしまいたかった。弱った頭も、痩せた体も抱きしめてしまいたかった。

けれどそれは、「してあげること」だから、許されない。限りなく似ているのに、違うことだから。

これが、病身の小田切を思う日向子の気持ちなんです。

そして、この小説で最もしびれた文章がこちら

出会ってから十二年がたって、私達は指一本触れたことがない。

厳密にいえば、割り勘のお釣りのやりとりで中指が触れてしびれたことがあるくらい。

手の中に転がりこんできた十円玉の温度で、あなたの手があたたかいことを知った。

十円玉でその人の温もりを知る

素敵な小説です(でもけっこうパンク)。

『袋小路の男』には、小田切の視点で語られる『小田切孝の言い分』も収載されていて、合わせて読むと2人のことがより深く感じられて面白い。

絲山さんのプロフィールも。個人的に好きなのは『沖で待つ』と『海の仙人』。

1966年東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。

2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞を受賞。

『逃亡くそたわけ』『ばかもの』『妻の超然』『末裔』『不愉快な本の続編』『忘れられたワルツ』『離陸』など著書多数。―新潮社ホームページより引用

『すべて真夜中の恋人たち』/川上未映子

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」。

わたしは、人と言葉を交わしたりすることにさえ自信がもてない。誰もいない部屋で校正の仕事をする、そんな日々のなかで三束さんにであった――。

芥川賞作家が描く究極の恋愛は、心迷うすべての人にかけがえのない光を教えてくれる。渾身の長編小説。―Amazonより引用

言葉が光の粒のよう。気持ちは茫洋とはるか

素晴らしいばかり言ってますが、これも素晴らしいです。

川上未映子さんの小説がぼくは好きで、というのも脳みそをぐわんぐわん揺さぶられるから。

ぼくがこれまで普通だと感じていたこと、もしくは普通だと感じ過ぎていて意識の表面に上がってこなかったことが引っ張り出されて目の前に突きつけられるんです。

文章もそれは美しく、流れるようで、全体的にまろんとして柔らかい。

ぼくの場合、文章を美しいと感じるのは読んで意味を把握する過程においてなんですが、川上さんの文章は目に入ったその瞬間に美しい。

ちょっとわかりにくいかもしれませんね。

何を漢字にして何を平仮名にするかという段階から作者の思いや気配りが感じられて、文章が一種のデザインとして形式美を持っている感じがするんです。

だから目にした瞬間にバチコンやられてしまう。

『すべて真夜中の恋人たち』はとてもざっくり言うと、一人の女性が他者との出会いと対話を通じて成長する物語。

主人公の入江冬子が自分のことを心の中で語る場面は印象的です。

そう言われても、わたしは人に聞かせるような自分の話なんて何もひとつも思いつけなかった。

名前は入江冬子で、仕事はフリーランスの校閲をしていて、三十四歳。十二月、この冬が来たら三十五歳になる。

独り暮らし。ずっとおなじアパートに住んでる。生まれたのは長野。長野の田舎のほう。谷のほう。

一年に一度だけ、誕生日の真夜中に、散歩にでることが楽しみ、でもそんな楽しみなんてきっと誰にも理解されないだろうし、誰かに話したこともない。ふだん話をするような友達もいない。それだけ。自分について話せるのはそれしかなかった。

こんな冬子が同じ校閲の仕事をしている石川聖と出会い、額が後退した初老の物理学教師・三束(みつつか)さんと出会い、酒の力を借りながら(ここおもろい)行動し、何より三束さんに恋をし―

という筋です。

人物も魅力的。聖は冬子とは真逆のタイプで、容姿端麗でクレバー。目上の男性社員にも物怖じせずに自分の考えを主張し言い負かしてしまう。

三束さんはおっとりとした紳士で博識。だけど何を考えているのかよくわからないミステリアスなところがあり、素性もちょっと知れない。

そんな個性的な3人が織りなす会話もまた味わい深くていいんですよ。そして深い。

例えば校閲の仕事について聖は「誤植のない本はぜったい存在しない」といいつつ「最初から負けることが決まっている戦い」と冬子に言い切る。

三束さんは光と色の関係を説き、「色のついているものっていうのは、みえている色を吸収しないからこそ、その色にみえる」と冬子に話す。冬子はそれに「本みたい」と答える。

間違いのない本はなくて、かならずどこかに間違いがひそんでいる。まるで間違いの遺伝子を残すみたいに、と。

三束さんは冬子の話を受け、誤植について、見つけるまでは存在しないけれど、見つけたときには存在するもの、と話す。(だから光と色、誤植は似ている)

恋人なのかセックスフレンドなのかよくわからない関係の男性が何人もいる聖は「(すきな人と)とくべつになることが果たしていいことなのかどうかもわからない」といい、「そこそこの人間関係でもって生きるというのも悪いことじゃないんじゃないか」と話す。

そして「だいたいすきとかってのもよくわからないじゃない?」と冬子に語る。

この小説は人物の対話を通してなんだかはるかな気持ちにさせてくれます。仕事、恋愛、物質、光、色、存在、認知。

結局のところ、人間は他者と出会い、対話を交わすことでしか成長できないのか、なんてことも漠然と思われる。

こうした緩やかな対話の流れをもってして終わらないのもこの小説の面白いところで、クライマックスに爆発します。

『ヘヴン』でも『わたくし率イン歯―、または世界』でもそうでしたが、爆発の瞬間があるのも川上作品の好きなところです。

『お艶殺し』/谷崎潤一郎

駿河屋の一人娘お艶と奉公人新助は雪の夜駈落ちした。幸せを求めた道行きだった筈が。気ままな新生活を愉しむ女と破滅への意識の中で悪を重ねてゆく男。

「殺人とはこれほど楽な仕事か」―。

文学とは何か、芸術とは何かを探求した「金色の死」併載。

やっぱり悪女を描かせたらこの人でしょ

魔性の女を描かせたらこの人の右に出る作家はいないでしょう。

『お艶殺し』は、谷崎の代名詞ともいえる、エロくて悪い女を堪能できる小説です。

繊細な感情なんて、心のひだなんてこれっぽちも描かれていません。

描かれているのは、圧倒的な人間の存在感。

奉公先の一人娘であるお艶(つや)を恋い慕う新介はお艶にほだされて駆け落ち。2人は船乗りの清次のもとに身を潜め、2人の親を説得するという清次の言葉を信用するものの―。

ここからの、悪、悪、悪。

この小説はちょっとミステリーの要素もあり筋を追うのも楽しいのでくわしくは書きませんが、清々しいまでに悪に染まる人間が描かれておりそれは大迫力

谷崎の巧みな文章で100ページちょっとはあっという間。そして最後は恋と悪をテーマにしている本作だからこそのニクいオチもあります(うまいけど悲しい)。

「殺人とは此れ程楽な仕事か」という序盤のセリフも衝撃ですが、個人的には最後から3行目のある人物のセリフをぜひ読んでほしい

この小説の胆が表れていると思う。

谷崎万歳。